■前夜 −フローラサイド−
 フローラはただ、静かに寝台の上に横たわっていた。
 月光の下、その姿は目を見張る程美しく、気高さと気品に満ち溢れ、リュカの心を揺さぶる。
 まだ迷いがある。
 己の進むべき道を、見出せないままである。
 明日までに結論を出さなければいけないというのに、正直なところ、気持ちは未だ渾沌とした闇の中を彷徨うばかりである。
 だが、心を洗われるような美しい微笑みが、瞳の奥に焼き付いて離れない。
 何故か?
 答えは、己自身にもわからない。
 だが、今目の前に眠るこの少女には、明日下す答えによっては、二度と触れられなくなってしまうのである。そのことが、焼け付く痛みとなり彼の心を締め上げる。
 ――ほんの少しだけ、触れてみたい。
 魔がさしたのは、一瞬。
 リュカは躊躇し、戸惑い、そうして淫靡な想いを頭の隅に追いやろうとした。
 何も眠る婦女に対し乱暴を働こうと言う考えを抱いているわけでなど、ない。
 ただ、ほんの少し……その白い肌に吸い寄せられるように指先で触れた、瞬間。
 突如として、無骨な手のひらに白い指先が重ねられ、寝返りを打ったフローラが吸い寄せられるように唇を寄せる。それらは無意識の行動なのかも知れないが、暖かく柔らかな手のひらが、すべらかな頬が、甘い誘惑となりリュカの心を揺さぶる。
 いつしかリュカは、フローラの横たわるベットに手をつき、その美しく小さな顔を覗き込み……そっと唇を寄せた。
「ん……」
 フローラは甘く呻き、か細い両腕を広げては招き入れるかの如くであり、リュカは引き込まれるように寝台へと潜り込み、少女の体を強く抱き寄せた。
「ん……あなた…………」
 瞳閉ざしたまま寄り添うフローラの、夢見心地の囁きがリュカの心を掻き乱す。
 ――あなた。
 まるで夫婦のような呼ばわりに、真っ当な判断力は消え失せていく。
 それは抱き合って眠りにつき、体を重ねあう事こそ自然な事であるかのような、錯角。
 もはやリュカは何のためらいもなしに、その美しい朱の唇に自らの唇を重ねた。
「んっ……!」
 深く口付けられ、さすがにフローラは驚き瞳を開け、目の前にいるのがリュカその人だと理解すると、その瞳は困惑に彩られる。
「リュ、リュカさん……っ?」
 唇を離し、息をつく。フローラの深い緑の瞳が、静かにリュカを見つめていた。
「す、すみません……変な事をしてしまって。あなたがあまりに美しくて、つい」
 そのような言い訳ではすまされない事をしたという自覚はあって、だがそれ以上に止まらなかった衝動。
 抱きしめたい。
 想いは募り、膨れ上がり、自分本意な行動に走ってしまった事を悔やんでも、もはや取り返しがつかない。
「ただ、あなたが好きで……あなたが、欲しくて」
 強く強く抱きしめる、フローラの体は暖かで、柔らかで、触れたくてたまらない。
 だが、傷つけたくもない。彼女を、悲しませたくない。
 困惑したリュカの吐息が闇にこぼれ、爆発しそうな想いは留まる事を知らない。なす術もなく佇むリュカに、フローラはそっと手を差し伸べた。
「……ずるいですわ、リュカさん。あなたが私を選んで下さったら、リュカさんの望むようにして下さって構いませんから、もう少し待って下さい」
 腕の中で柔らかに微笑む少女があまりに愛らしく、リュカもつい笑顔を覗かせた。
「リュカさん……」
 リュカが腕の力を緩め、フローラを解放した瞬間に次はリュカが抱きしめられ、フローラの柔らかな胸がリュカの頬を包み込む。
「フローラさ……ん!」
 突然の事にただ困惑するリュカはまた唐突に解放されたが、次にはフローラの柔らかな唇がリュカの唇と触れあう。
「お休みなさい、リュカさん……好きです」
 小さな声で囁き、フローラの手も唇もリュカから離れていく。
 余韻は甘く切なく、行き場を失ったリュカの手のひらは空に差し出されたまま。
「……あなたの方がずるいですよ」
 これほどまでに愛しい気持ちを膨れ上がらせておいて、寸止めにされて。
 二十四時間も待ちきれるはずもない、すぐに明日になって欲しい。
 ――早く、抱きしめたい。
END.
後書きらしきものを読んでみる。※同窓はこちらより。


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